
NTT労組新聞 8面




N労新聞2025.10.25発行984号8面の
退職者の会ひろがりネットの紙面「いきいき通信」に掲載された
人間国宝「西江喜春」さんの編集後記を語る。
伊平屋島に渡り取材をした。
恐れ多くも人間国宝様への取材となり緊張感をもって挑んだ次第であったが
意外にも本人はざっくばらんで清々しい眼で年の離れた兄貴のように接してくれた。
喜春さんの戦争時代は4歳の時、伊平屋島の壕に隠れていたところアメリカ兵に銃を向けられ恐る々、壕を出たところから始まる。
父はフィリピンで戦死、母、祖母、姉と生き残った四人での暮らしがはじまる
ソテツも食べたそうだ。
相当な苦労もしたことであろうが、この時代の人たちは辛苦の多くを語らない。
名護高校を卒業して東京の中野無線学校入学し3級無線技士免許取得した。同校は元陸軍中野学校でありスパイ養成所であった事は有名だがその諜報技術等は戦後も学問として活かされたのだろう
卒業後、帰中の船での偶然の出会いが喜春さんの大きなターニングポイントとなった。
たまたま当時の琉球電電公社の人と隣になり入社を勧められたのが入社の動機だ。
1967年琉球電電公社入社、職場に三線が趣味の先輩が数人いて本格的に練習する事ができた、それがまさか人間国宝にまでなるとは、まさしく人生は出会いである。
電々公社の花形であった電報業務でその技能を活かす、母の日の祝い電報のシーズンになると超多忙となり無心に電報を打ったそうだが職業病の腱鞘炎を本人は「手くずれ」と言っていたが三線を弾くのに苦労したのだろう。
ところで、喜春さんは1940年生まれ。有名人は立派な個性派ぞろいだ。
麻生太郎、立花隆、王貞治、張本勲、坂東英二、篠山紀信、中村敦夫・・・・
国家主導の経済統制システムとなった「1940年体制」の確立の年に生まれた彼らは
戦前、戦中、戦後を生き力強くタフであるが人間的で情にも熱く、その後の高度成長
期を支えて来た世代である、その行動力は今尚衰えていない。
喜春さんの夢は90歳まで現役でゆくゆくは故郷伊平屋島の組踊りを再現する事だ。
どうやら年を取っている暇はなさそうである。
幹事 喜納政人


コメント